関俊彦・舞台照明屋応援blog
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【ひろぽ】's BLOG

Date: 2005/11/29(火)   Category: 関俊彦舞台感想
【ひろろ】の「十一ぴきのネコ」感想
【ひろろ】も「十一ぴきのネコ」の感想を書きたいと云い出して、書いたので、UP烈
因みに。
【ひろぽ】はG列13番。
【ひろろ】は当日捌きで買ったので、B列20番。
座席の差で、感想の差がどれだけでるか楽しみ!?
あんまし、かわんなかったらご愛敬(笑)



不完全燃焼だったと言うのが正直な感想です。
カーテンコールも手拍子をする手が上がってこなかった。
普段ならあのテンポの曲が入ったカーテンコールには意識しなくても自然に手拍子を始めているのに……。
何故なんだろうと【ひろろ】なりに考えてみた。
作品自体は面白かったのに今一つと思ってしまったのは、やはりDCに、役者 関俊彦に、井上ひさしの「十一ぴきのネコ」に期待を高く持ちすぎていたからかな。

客電が消えて始まるプロローグその後にあらためて入るにしては長目のオーバチュアで一歩引いて芝居を見始めることに(暗転中に見切れているムービングスポッットが首をふり続けているのが気になったせいでもあるのですが)

帽子を追いかけている関さんの芝居は、少し中途半端だったかな、【ひろろ】はあのシーンを、明るい性格のにゃん太郎も一人でいると寂しいので帽子とお話ししながら寂しさを紛らわしているように思えました。
であれば、関さんにはもっと緩急を付けた芝居をしてほしかった。
まず帽子を追いかけるところは精一杯笑顔で明るく、上手に去っていく帽子にかける言葉は空元気を感じさせて、一人になって背中と肩で寂しさを出し、下手から出てきた帽子には目一杯の嬉しさを出して、それだけに再び去っていきそうになる帽子を追って他のネコたちがいることに気がつく余裕もなく袖に突っ込んでいくにゃん太郎、といった流れがメリハリをつけて演じてもらえたら、もっと自然ににゃん太郎に感情移入できたと思うな。
それが出来る技量を持った役者さんだと思っているから。

無対象での芝居かどうかの判断に時間がかかってしまったことも、【ひろろ】が集中しにくかった理由の一つでした。
芝居の序盤はいつもどんな形式に作ってあるのかを探ってしまうんですが、今回は小道具を無対象で作っているにもかかわらず、最初に出てくる帽子は本物だったり、競馬新聞やハタキなどの持ち道具が目に付いてしまったり、巨大な注射器が出てきたりして、関さんの釣り竿を持ち出す頃まで、芝居全体を通して無対象で演じて行くのか、このワンシーンだけなのか判断に迷ってしまいました。

役の重さに比べて技量不足に感じられる役者さんも気になってしまった所です。
めんどくさそうに動くシーンではダラダラ動く演技をせずに本当にダラダラと動く。
これで重要度が高い役をやられていると、どうしても目に付いてしまいます。
力のある役者さんはきちんと演技をするからダラダラした動きも、それらしく見えるように計算しているからメリハリが出来るのに、ただダラダラ演じられると辛いです。
これをナチュラルな芝居をしていると勘違いしている役者さんなのか、純粋に技量不足なのかはわかりませんが、芝居に集中して見るには、辛かったかな。

細かいところを言えば他にも色々あったのですが、良い芝居だと感じつつも今一つ入り込めずに進行していきました、そして最大の不完全燃焼ポイントはラストにやってきました。
ネコ達が唄いながら死んでいくのですが、苦しんで逝く悲劇性を訴えたいのならばミザンスを少し変えて、ネコ達は下前で一匹、上奥で一匹とバラバラに死んでいってほしかったし、あのシーンにネコ達の救いを出すのであれば、中央に集まって死んでいくネコ達(にゃん太郎一人でも可)にもっと歌い上げてほしかった。
最後の選曲から行っても【ひろろ】は後者だと思っていたラストが、エピローグの紙芝居に持っていくためかもしれないのですが、どっちつかずの中途半端な形に待ってしまったのが残念です。

もちろん良いところもたくさんあり、見て良かったと思っているんですよ。
でもそういった感想は、色々なところで語り尽くされていくことの繰り返しになりそうなので、今回は【ひろろ】的に気になった所をまとめてみました。


以上。
【ひろろ】の感想でした。

因みに。
前も似たような質問があった気がするんですが……。
ま、いいや(笑)
えっと【ひろぽ】が退職するまで勤めてて、旦那の【ひろろ】が現在進行形で勤めている会社でやった仕事が、どんなもんか知りたいと云うのがありましたので。
ここからです
因みに。
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Date: 2005/11/29(火)   Category: 関俊彦舞台感想
DC版は何故『毒』を消してしまったか?
ドラマティック・カンパニーの『十一ぴきのネコ』には『毒』がない。
昨日、【ひろろ】が旅から戻ってきて、明日まで自宅にいるのでじっくり話す時間が十二分にとれたので、再びDC版『十一ぴきのネコ』について語り合った。

ととっ。
その前に、ここで当ブログでの『十一ぴきのネコ』の表記について説明。
幾つかの書き方をしちゃっているようなので。
原作版『十一ぴきのネコ』原作版
エコー初演版『十一ぴきのネコ』初演版『十一ぴきのネコ』
こまつ座初演版『十一ぴきのネコ』決定版『十一ぴきのネコ』
井上版『十一ぴきのネコ』エコー版・こまつ座版の両方を指す

ここからが、本題。
【ひろろ】とダラダラ喋っていて、DC版の物足りなさは決定版を踏襲しているのに『毒』がないからではないか? という結論に新たに辿り着いた。
ここで云う井上の持つ『毒』とは、
初演版では繁栄の代償=心の歪みによる仲間殺し
決定版では繁栄の代償=汚染による自業自得からの死
である。
が、DC版は?
猫たちは、被害者でしかない。
本来ならば、人間が払わなければならない代償を猫に払わしてしまっているのである。
……。
と、今これを書いていて。
何気なく続けようとした自分の言葉に驚いた。
こう続けようとしたのである。
大量の猫の死によって、人間は汚染と云う名の『毒』の恐ろしさを知る。
そして、汚染の問題を考えることになる。

毒だ……。
物凄い毒だ。
猫は人間に殺された。
猫を殺した人間は、このままじゃいかん。
自分らは、猫たちのようにならないように環境問題に真剣に取り組もうっ!!
ですよ……?
ネコ……人間に利用されるだけされてポイッ!?
いや、まぁポイまではしてませんがね。
野良猫たちは人間の為に、人間に殺されたってコト!?
にゃん太郎やにゃん四郎の実験所送りの運命を辿りそうになった子なんて、実験所送りの方が倖せだったんじゃ……。
解剖ならきっと麻酔は掛けてもらえると思うんだけど……。
あっ駄目か?
病気にされちゃう子だったりしたら苦しいか……。
うぅ〜ん。
ま、いいや。
深く突っ込むの止めよ。
えぇと。
話を戻します。
何故、猫が人間に利用される羽目になるのか?
普通、環境問題を考えるときに『猫』の為だけに考えるでしょうか?
人間社会にかなり比重を置いて考えるのが一般的だと思うんですが……。
『殺してしまった『猫』に可哀想なことをした』という思いからだとしても。
もし。
もしも、本っ当にDC版の主題を環境問題にしているのであれば。
ものすごぉ〜く、ブラックな作品だったんですね……。
ま。
こんなブラックな作品にしようとした可能性は決して高くないと信じていますけど(笑)
問題の。
A.DC版は何故『毒』を消してしまったか?
Q.早い話が。『猫を悪者にしたくなかった』かな?
 理由として、子供が観るからでしょうかねぇ。
 他に理由が思い付かない……。



話の流れで盛り上がった、こんな『十一ぴきのネコ』が観たい。
DC版の流れできたとして。
驪 ハッピー・エンド版
都会に戻りたいグループは、にゃん太郎達の田舎もいいぜグループの制止を振り切り、都会に戻る。
都会に戻ったにゃん十一達は、残飯を漁ったりしながら楽ではないものの生き延びる。
田舎に残った、にゃん太郎達は毒に侵された魚を食べて死んでしまう。
にゃん十一は風の便りに、にゃん太郎達の最期を知り、都会はいいぜと歌う。
それぞれの場所で同じように聞いた都会戻り組猫たちの声が重なる。
鍊あばよ ど田舎 おさらばさ ど田舎なんぞ くそくらえ
に重なるように、田舎残留組の倖せそうなシルエット及びコーラス。
都会戻り組は、歌本来の調子で歌い続ける。
掛け合いが続き、田舎組の最終小節、歌詞終わりで田舎組やや早めのフェード・アウト。
田舎組が消えたことに気付かず、調子よく歌い続ける都会組。
鍊あばよ ど田舎 おさらばさ
で、にゃん十一は田舎組が消えたことに気付き、思い出と歌っていたコトに気付き、思い出を捨て明日を生きると、ラストの歌い上げ。
鍊ど田舎なんぞ くそくらえ
曲終わり、足取り軽くハケ暗転。
因みに、十一以外の都会戻り組猫は田舎組と一緒に消しちゃっていいかな?
最後は十一に持っていきたいっす。


麗 悲劇版 其の壱
都会戻りたいグループが戻ってきて、田舎組の死を知り歌に入るまでは同じ。
最後の掛け合いから変化。
田舎組最後のコーラスから、声に苦悶が混じる。
1匹倒れ、2匹倒れ……。
最後に残ったにゃん太郎が、恨みを全開にして。
鍊泉よ あなたは母親だ
はっと振り返る、にゃん十一。
倒れる仲間・苦悶の表情を見せ付けられ、愕然とし。
ゆったりと、再度歌い出す。
鍊あばよ ど田舎 おさらばさ
舞台正面に躰を戻しながら、嘲笑に近い調子で歌い上げ。
ピン残し。
鍊ど田舎なんぞ くそくらえっ!!
歌詞終わりカット・アウトッ!!

紙芝居をつけるならば。
関さんの元・サラリーマンに。
「私は……野良猫にされるのはゴメンです」
言い残し、ハケ。
紙芝居屋、残され肩すくめ、紙芝居を仕舞いながら反対袖に、十一ぴきのネコが旅に出た鍊と口ずさみながらハケ。フェード・アウト。


黎 悲劇版 其の弐
死を直前にした猫たち。
『こんど生まれてくるときはのレクイエム』を歌いながら苦悶し1匹、また1匹と逝く。
但し、歌詞を変更。
「水の綺麗な」であるとか「空気の綺麗な」であるとかの、要は汚染されていない場所に生まれてきたい。との歌。
んで、最後の1匹にゃん太郎が
鍊汚れた地だけはごめんさ(つか、この類のこと)
と、歌い捨て大きな痙攣一つ。
倒れ伏して。
ふと気付けば、舞台前ににゃん作老人の姿。(にゃん作老人は留守番とする)
旅に出た若猫たちの最期をなんとはなしに、感じ取り。
鍊 十一ぴきのネコ 十一ぴきのネコ 十一ぴきのネコが旅に出た
と、悟ったように口ずさむ。(暗い明るさでも可)
この歌の前に、にゃん作老人に。
「さぁ。次の猫たちは? 」的なことを云わしても可。


力 ↑のハッピー・エンド版
死を直前にした猫たち。
『こんど生まれてくるときはのレクイエム』を歌いながら1匹、また1匹と逝く。
但し、歌詞を各猫用に変更。
んで、最後の1匹にゃん太郎に、倖せを前面に出しての歌い上げ。
笑みを残したまま倒れ伏す。
ふと気付けば、舞台前ににゃん作老人の姿。(にゃん作老人は留守番とする)
旅に出た若猫たちの最期をなんとはなしに、感じ取り。
鍊 十一ぴきのネコ 十一ぴきのネコ 十一ぴきのネコが旅に出た
と、悟ったように口ずさむ。
で、転調して。
にゃん作老人、黙る。
振り返れば、紗裏に明かり入る。
やや、優しい調子で十一ぴきのネコに続き歌わす。
んで。
再度、転調。
鍊北の空のお星様 〜
から。
本来の調子に戻り。
紗は上がり、フル・ライト。
にゃん作老人も十一ぴきのネコの輪に加わり、明るく、楽しく、歌い。
最後の。
鍊旅に出た
で、12匹の猫達は団体様で明るく、最後の歌いあげをすると。
にゃん作老人が、一人輪から外れる。
彼らを見守る眼差しのにゃん作老人。
何故か用意してある旅道具。
よくある、棒の先に布袋。
猫達がにゃん作老人に背を向け、新たに旅立とうとすると、にゃん作老人も旅道具を背に背負い。
猫達と反対の方向に、歩き出そうとして。
総員ストップモーション。
シルエット。
シルエット見せての、フェード・アウト。
一間おき。
タブロー。
暗転。
拍手の中、曲入り。
コールライト。
カーテンコール。



うひょ〜。
楽しかった烈
めっちゃくちゃたのしかったっすっ!!
色々脳内劇場で上演しながら、感動出来る自分が馬鹿だと思った(笑)
辻褄は無視(笑)

はぅ。
楽しかった。
なんか、今迄の不満が殆ど解消した気分。
脳内劇場安上がりでいいや(笑)