カリフォルニア・ドリーミン 感想5
本題は感想って云うよりも、『カリフォルニア・ドリーミンは、55歳という年齢設定だけれども、55に見えるか否かは必要か? 』ってコトかな?
発端は、自宅玄関喫煙コーナーで【ひろろ】と煙草吸いながらの会話。
えと、その前に一叫び。
鈴置洋孝プロデュース公演『ムーンリバー』のDVDを申し込んできました
昨日は雨で萎えた(笑)
あと一叫び。
小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト6でセビリャの理髪師演るンだっ!!
東京文化は1ステしかないけど、聴きたいなぁ〜。
【ひろろ】つくかな?
つくんだったら聴きに行きたいなぁ。
えと、セビリャを初めて聴いたのは95年のヘネシー・オペラ・シリーズでした。
神奈川県民ホールの上手袖。
序章で、まさに雷に打たれて虜にv
小澤さんの指揮は前の年にトスカを聴いているんですが、その時は初めてのオペラの現場ってコトもあったのか、二幕幕切れの太鼓しか覚えてなかったんですね。
でも、その太鼓が強く残ってるのは二幕から三幕への転換が大変だったから『二幕終わる合図だ〜』って感じで残っている可能性も大(笑)
ともかく、このセビリャの時に、自分はセビリャが好きなんだと思ったんです。
で、早速セビリャのCDを買って吃驚。
だって、一番聴きたかった曲がないんですよ?!
抜粋版でなくて、全曲版で買ってるのにっ!!
ショックを受けながらも、もう一枚違うカンパニーので買いました。
えぇ。まだ指揮者によって違うってコトに気が付かなかったんです。
浅はかな【ひろぽ】はカンパニーを変えればいいのだと思い込んでました……。
結果は惨敗。
なんで、あの曲がないんだっ!!
ちょっと苛々しながら流し聴きしてて、はたと気付く。
ないんじゃない。
あるんだけど、表現が全ッ然違ってて気付かなかったんだ……。
ここで、ようやく『指揮者で変わる』ってコトを知ったんです。
そりゃ、芝居も全く同じ本でも演出が変わると全ッ然違う舞台になりますものね。
気付くのが遅すぎ(笑)
と、長い前フリでしたが。(前フリだったのかっ?! )
(追記・最初は本当に前振り予定でしたが、書いてるウチに関係なくなっちゃった……)
ようやく本題です。
ココで一句。
打ち止めと
ドコの口だよ
云ったのは
舌の根の乾かぬ内にってヤツですね(笑)
さてさて、馬鹿な話はそのくらいにして置いて。
カリフォルニア・ドリーミンを【ひろろ】と観たのがかなり作用している模様。
二人で玄関の喫煙コーナーへ行くとこの話題になるから、どんどん新しい話が出て来ちゃう。
そんな訳で、本題の『カリフォルニア・ドリーミンは、主要人物達が55歳という年齢設定だけれども、55に見えるか否かは必要か? 』です。
この芝居、中学時代の同窓生が芯となります。
現在は全員55歳。
冒頭で、もぅいいよ。分かったよ。55ね? 了解(苦笑)
って程に連呼してくれるので、55歳なのだときっばりと分かります。
で、あるからして、世間一般にイメージされる55歳を作る必要性がなくなる。
これが、一般的な家庭の話で父親・母親・子供達と世代毎の固定イメージが必要な役であれば、55歳であるコトは必要だと思うんですが。
出てくるのは全て55歳。
しかも、バラバラのドラマを抱えてる。
リアルに考えれば、色んな55歳がいるじゃないですか。
年相応の人。もっと老けて見える人。すっごく若く見える人。
姿形ではなくて、発する雰囲気がって意味を含めて。
また、このカリフォルニア・ドリーミンは「もぅ、55歳なんだね」はテーマではないと思うんですね。
以上二点の理由から、55歳色を全面に出す必要性は少ないのでは? と結論付けました。
実際、81プロデュース企画部公演『カリフォルニア・ドリーミン』に限って云えば(コレしか観ていないのだから、比べようがないけど/笑)「55年歩いてきた人間」よりも「それぞれの(人生という)ドラマを演じてきている、55歳」を出しているのではないかと思えましたし。
尤も、あくまで【ひろぽ】と【ひろろ】が勝手に結論付けているだけなんですが(笑)
あぁ。一つ補足するならば、55歳に全ッ然見えなくてもいいってことじゃなくて、「あんな55もいるよね」って範囲内ではあって欲しいですよ(笑)
楽しい〜烈
なんだか、書けば書くほど楽しくなってくる〜。
箍が外れるってこの事かっ?! って勢いですが、すんごぉ〜く楽しい(笑)
いい気になって、まだある(笑)
グランド・フィナーレに入ってから、中学時代の制服で級友達が集まってきます。
で、総踊りとなるのですが。
ココで【ひろぽ】と【ひろろ】の意見が分かれました。
【ひろぽ】
あれは、伊豆に来られなかった『現在の』級友達の思いである。
制服である理由は、成長した姿を知らないという現実の象徴。
または(後日の感想ではあるが)あの頃の少年少女ではないけれども、あの頃を取り戻すことが出来たコトの象徴。
どちらにせよ、『55歳』の彼らの姿である。
【ひろろ】
中学生に戻った姿。
中学の頃の、キラキラと輝いていた彼ら。
【ひろろ】に云われるまで、思い付きませんでした。
『夢のカリフォルニア』はオープニングとフィナーレで使われているのですよ。
【ひろぽ】の中ではオープニングでは「夢の始まり」として。
フィナーレは「夢の終焉」として捉えていたようです。
ここの動きと曲の前後関係が少々曖昧なのですが、カリフォルニア・ドリーミン 感想4で述べたように、石渡の
「いつまでも夢の時間は続かない。現実が自分達を待っている。
だから、現実に帰らなきゃ」
から、現実へと戻ってくる。
でも、夢の心地よさへの未練は多少はあるわけで。
それを構成メンバー全員55歳のポップス・クラブとしての最後の曲で、断ち切る。
【ひろぽ】の解釈としては、曲が終わった所で、ではなく曲途中で。
記憶間違えでなければ、この曲の最中に同級生達が合流してきたと思うんですよ。
ちょぉ〜っと曖昧なんですが……。
「俺達も来たよ。混ぜて〜っ」て感じで。
あーでも、それだと次の散骨への繋がりが思い出せない……。
じゃぁ、『夢のカリフォルニア』で合流?
この曲は散骨前か? 後か?
級長の歌から、雪崩れ込み?
それとも級長の歌→散骨→『夢のカリフォルニア』曲途中同級生出→曲終わりハケ→バス中ラスト暗転?
あれ〜? でも散骨して、それぞれバスに戻っていったような気もするんだよな……。
そうすると、散骨後に『夢の〜』を入れると繋がんないような。
じゃ、矢っ張り級長から流れるか?
散骨では前に進もうとする彼らに対して、羨ましさ・前に進めない自分の惨めさがどぉ〜んと来ちゃって辛かったんだよな?
『夢の〜』を聴いて、『過去に思いを馳せる現在の自分の姿』を見せ付けられて、卑怯だっ!!
って思って、たぬきに語ったり、誓ったりする姿に『アタシだって進みたいのに置いてかないでよ〜』って思って、ラストの絵に置いてかれる寂しさを味わったんだから、矢っ張り『夢の〜』が先か?
ここら辺かなり個人的に感情を引っ張り出されてたんで、記憶が凄く曖昧(笑)
いいや。
学生時代じゃあるまいし、レポート提出の為に見てたんじゃないから(笑)
それだけ良質の芝居だったってコトさ。←覚えてないコトへの詭弁・言い訳(笑)
でも、事実だと思います。
極端なこと云っちゃえば、芝居なんて楽しく観られればいいんだから。
何か話が明後日の方向に進んでるし(笑)
えと、強引にまとめちゃえば。
制服組が出てきたのが、【ひろぽ】が現実に戻ってからのシーンと捉えている為。
ってコト。
だと思う……。
あ〜。
説明しようしようと思って後回しになっちゃいましたが、【ひろぽ】はこの『カリフォルニア・ドリーミン』をレヴュー要素の強い作品として捉えています。
ストーリーの中の歌なのか、歌のためのストーリーなのか。
を、考えたときに、歌のための芝居とまではいかないまでも、主軸になるのは『歌』なのかな? と思ったので。
そう捉えてしまったので【ひろぽ】の感想でもフィナーレ、グランド・フィナーレという説明を使用しました。
これは、説明の便宜上【ひろぽ】が勝手に使用したモノであって、実際のシーン分けではありません。
また、レヴュー要素が強いというのも、ミュージカルよりはレヴューに近いかな? という程度のモノであり、レヴューだと言い切っているわけでもないです。
一応ね。
一言、入れておこうかと思って。
ミュージカルにせよレヴューにせよ、ストレート・プレイでないことだけは確か(笑)
でも、書くのすっごい楽しかった〜烈
発端は、自宅玄関喫煙コーナーで【ひろろ】と煙草吸いながらの会話。
えと、その前に一叫び。
鈴置洋孝プロデュース公演『ムーンリバー』のDVDを申し込んできました
昨日は雨で萎えた(笑)
あと一叫び。
小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト6でセビリャの理髪師演るンだっ!!
東京文化は1ステしかないけど、聴きたいなぁ〜。
【ひろろ】つくかな?
つくんだったら聴きに行きたいなぁ。
えと、セビリャを初めて聴いたのは95年のヘネシー・オペラ・シリーズでした。
神奈川県民ホールの上手袖。
序章で、まさに雷に打たれて虜にv
小澤さんの指揮は前の年にトスカを聴いているんですが、その時は初めてのオペラの現場ってコトもあったのか、二幕幕切れの太鼓しか覚えてなかったんですね。
でも、その太鼓が強く残ってるのは二幕から三幕への転換が大変だったから『二幕終わる合図だ〜』って感じで残っている可能性も大(笑)
ともかく、このセビリャの時に、自分はセビリャが好きなんだと思ったんです。
で、早速セビリャのCDを買って吃驚。
だって、一番聴きたかった曲がないんですよ?!
抜粋版でなくて、全曲版で買ってるのにっ!!
ショックを受けながらも、もう一枚違うカンパニーので買いました。
えぇ。まだ指揮者によって違うってコトに気が付かなかったんです。
浅はかな【ひろぽ】はカンパニーを変えればいいのだと思い込んでました……。
結果は惨敗。
なんで、あの曲がないんだっ!!
ちょっと苛々しながら流し聴きしてて、はたと気付く。
ないんじゃない。
あるんだけど、表現が全ッ然違ってて気付かなかったんだ……。
ここで、ようやく『指揮者で変わる』ってコトを知ったんです。
そりゃ、芝居も全く同じ本でも演出が変わると全ッ然違う舞台になりますものね。
気付くのが遅すぎ(笑)
と、長い前フリでしたが。(前フリだったのかっ?! )
(追記・最初は本当に前振り予定でしたが、書いてるウチに関係なくなっちゃった……)
ようやく本題です。
ココで一句。
打ち止めと
ドコの口だよ
云ったのは
舌の根の乾かぬ内にってヤツですね(笑)
さてさて、馬鹿な話はそのくらいにして置いて。
カリフォルニア・ドリーミンを【ひろろ】と観たのがかなり作用している模様。
二人で玄関の喫煙コーナーへ行くとこの話題になるから、どんどん新しい話が出て来ちゃう。
そんな訳で、本題の『カリフォルニア・ドリーミンは、主要人物達が55歳という年齢設定だけれども、55に見えるか否かは必要か? 』です。
この芝居、中学時代の同窓生が芯となります。
現在は全員55歳。
冒頭で、もぅいいよ。分かったよ。55ね? 了解(苦笑)
って程に連呼してくれるので、55歳なのだときっばりと分かります。
で、あるからして、世間一般にイメージされる55歳を作る必要性がなくなる。
これが、一般的な家庭の話で父親・母親・子供達と世代毎の固定イメージが必要な役であれば、55歳であるコトは必要だと思うんですが。
出てくるのは全て55歳。
しかも、バラバラのドラマを抱えてる。
リアルに考えれば、色んな55歳がいるじゃないですか。
年相応の人。もっと老けて見える人。すっごく若く見える人。
姿形ではなくて、発する雰囲気がって意味を含めて。
また、このカリフォルニア・ドリーミンは「もぅ、55歳なんだね」はテーマではないと思うんですね。
以上二点の理由から、55歳色を全面に出す必要性は少ないのでは? と結論付けました。
実際、81プロデュース企画部公演『カリフォルニア・ドリーミン』に限って云えば(コレしか観ていないのだから、比べようがないけど/笑)「55年歩いてきた人間」よりも「それぞれの(人生という)ドラマを演じてきている、55歳」を出しているのではないかと思えましたし。
尤も、あくまで【ひろぽ】と【ひろろ】が勝手に結論付けているだけなんですが(笑)
あぁ。一つ補足するならば、55歳に全ッ然見えなくてもいいってことじゃなくて、「あんな55もいるよね」って範囲内ではあって欲しいですよ(笑)
楽しい〜烈
なんだか、書けば書くほど楽しくなってくる〜。
箍が外れるってこの事かっ?! って勢いですが、すんごぉ〜く楽しい(笑)
いい気になって、まだある(笑)
グランド・フィナーレに入ってから、中学時代の制服で級友達が集まってきます。
で、総踊りとなるのですが。
ココで【ひろぽ】と【ひろろ】の意見が分かれました。
【ひろぽ】
あれは、伊豆に来られなかった『現在の』級友達の思いである。
制服である理由は、成長した姿を知らないという現実の象徴。
または(後日の感想ではあるが)あの頃の少年少女ではないけれども、あの頃を取り戻すことが出来たコトの象徴。
どちらにせよ、『55歳』の彼らの姿である。
【ひろろ】
中学生に戻った姿。
中学の頃の、キラキラと輝いていた彼ら。
【ひろろ】に云われるまで、思い付きませんでした。
『夢のカリフォルニア』はオープニングとフィナーレで使われているのですよ。
【ひろぽ】の中ではオープニングでは「夢の始まり」として。
フィナーレは「夢の終焉」として捉えていたようです。
ここの動きと曲の前後関係が少々曖昧なのですが、カリフォルニア・ドリーミン 感想4で述べたように、石渡の
「いつまでも夢の時間は続かない。現実が自分達を待っている。
だから、現実に帰らなきゃ」
から、現実へと戻ってくる。
でも、夢の心地よさへの未練は多少はあるわけで。
それを構成メンバー全員55歳のポップス・クラブとしての最後の曲で、断ち切る。
【ひろぽ】の解釈としては、曲が終わった所で、ではなく曲途中で。
記憶間違えでなければ、この曲の最中に同級生達が合流してきたと思うんですよ。
ちょぉ〜っと曖昧なんですが……。
「俺達も来たよ。混ぜて〜っ」て感じで。
あーでも、それだと次の散骨への繋がりが思い出せない……。
じゃぁ、『夢のカリフォルニア』で合流?
この曲は散骨前か? 後か?
級長の歌から、雪崩れ込み?
それとも級長の歌→散骨→『夢のカリフォルニア』曲途中同級生出→曲終わりハケ→バス中ラスト暗転?
あれ〜? でも散骨して、それぞれバスに戻っていったような気もするんだよな……。
そうすると、散骨後に『夢の〜』を入れると繋がんないような。
じゃ、矢っ張り級長から流れるか?
散骨では前に進もうとする彼らに対して、羨ましさ・前に進めない自分の惨めさがどぉ〜んと来ちゃって辛かったんだよな?
『夢の〜』を聴いて、『過去に思いを馳せる現在の自分の姿』を見せ付けられて、卑怯だっ!!
って思って、たぬきに語ったり、誓ったりする姿に『アタシだって進みたいのに置いてかないでよ〜』って思って、ラストの絵に置いてかれる寂しさを味わったんだから、矢っ張り『夢の〜』が先か?
ここら辺かなり個人的に感情を引っ張り出されてたんで、記憶が凄く曖昧(笑)
いいや。
学生時代じゃあるまいし、レポート提出の為に見てたんじゃないから(笑)
それだけ良質の芝居だったってコトさ。←覚えてないコトへの詭弁・言い訳(笑)
でも、事実だと思います。
極端なこと云っちゃえば、芝居なんて楽しく観られればいいんだから。
何か話が明後日の方向に進んでるし(笑)
えと、強引にまとめちゃえば。
制服組が出てきたのが、【ひろぽ】が現実に戻ってからのシーンと捉えている為。
ってコト。
だと思う……。
あ〜。
説明しようしようと思って後回しになっちゃいましたが、【ひろぽ】はこの『カリフォルニア・ドリーミン』をレヴュー要素の強い作品として捉えています。
ストーリーの中の歌なのか、歌のためのストーリーなのか。
を、考えたときに、歌のための芝居とまではいかないまでも、主軸になるのは『歌』なのかな? と思ったので。
そう捉えてしまったので【ひろぽ】の感想でもフィナーレ、グランド・フィナーレという説明を使用しました。
これは、説明の便宜上【ひろぽ】が勝手に使用したモノであって、実際のシーン分けではありません。
また、レヴュー要素が強いというのも、ミュージカルよりはレヴューに近いかな? という程度のモノであり、レヴューだと言い切っているわけでもないです。
一応ね。
一言、入れておこうかと思って。
ミュージカルにせよレヴューにせよ、ストレート・プレイでないことだけは確か(笑)
でも、書くのすっごい楽しかった〜烈
COMMENT
Blog Petって、ハーボットとリヴリーを
掛け合わせたような物みたいですね。
なかなか楽しそうだわ。
景虎君(景虎様はフェレットの方だから、こちらは
そう呼ばせてもらっていいですか?)、
やっほー。
掛け合わせたような物みたいですね。
なかなか楽しそうだわ。
景虎君(景虎様はフェレットの方だから、こちらは
そう呼ばせてもらっていいですか?)、
やっほー。
*静流さん*
数ヶ月振りに復活のBlog Petですv
システム変わってから面倒で止めてたんですが、いないと寂しい(笑)
こぱんだ景虎かまってくださいv
数ヶ月振りに復活のBlog Petですv
システム変わってから面倒で止めてたんですが、いないと寂しい(笑)
こぱんだ景虎かまってくださいv
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